2009年7月12日日曜日

寺子屋ヒマナイヌ08「死の迎え方~医療現場から見た現代の死を考える」

送信者 2009-07-01 (by Eye-Fi)

寺子屋1stシーズンの中でも一番シリアスなテーマである「死」について。シリアスではあってもタブーである必要はない筈であるという塾長・川井さんのテーマの選択が素晴らしい!

講師は、国立病院機構・医療部長の山本光昭さん。「死」というものを取り巻く様々な問題やメカニズムに関して、限られた時間の中で要点を講義して頂くと共に、自分が「死」というものに対してどういう姿勢で接するべきかということを、改めて整理して考える機会をもたらしてくれました。

ボクは昨年10月に父親を亡くしました。会社が破産開始決定になった6日後に容態が悪化し、病院に掛け付けてから3日間。会社の方も少し落ち着き始めていたし、もう先の無い会社だから放っておいても無問題。お陰で最後の3日間を穏やかに一家で過ごすことができたのは不幸中の幸いでした。
親父は間質性肺炎という、原因不明・治療方法無しの病気でした。肺が少しずつ機能しなくなっていくもので、発症直後は酸素ボンベや発生機があれば呼吸もできるし、その他のことは何も悪いところがなく、大好きな酒を飲むのも問題無し。但し進行していくと、幾ら酸素を吸っても肺が吸収しなくなり、最後は呼吸できなくなって死んでしまいます。親父は独特の美学を持っていた男でもあり、人工呼吸器を使ってまで延命するつもりはさらさらなく、それは僕ら家族も重々理解していたことでもありました。そして「我が人生に一片の悔いも無し」と言い切って死んでいったのですが、自分の好きなことを存分にやり切った人生だったということを自分に言い聞かせることもさることながら、残された家族の心の平穏を願って発した一言だったと思っています。実際、そのお陰で僕らは随分と救われた気持ちになれたものです。自分の時や近しい人間の時にも「人生に悔い無し」と言えることが、僕にとっての‘死の迎え方’であるということを改めて確認することができました。

講義では、「2つの死の存在」で混乱する脳死問題や死に至る過程を見ずに最後だけクレームを付けてくる中途半端な親族の問題etc、答えが難しい問題がより複雑になっているという現実を知りました。脳死問題は国会でもやっとこさ議論が深まりつつあるようですが、モンスター的な親族問題などはナースの女房からも日常的に聞かされていて、医療現場の疲弊にも繋がり深刻化しているようです。

気楽に扱えるテーマではないけれども、死をタブー視せず肩肘張らずに語れる機会を増やすことが重要なのだよなぁと。

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