2010年2月20日土曜日

競技の本質

冬季オリンピックですねぇ。基本的にはあんまり興味ないんです。雪国に4年間いたにも関わらず、スキーもスノボもやったことないほどです。

冬季の種目って、なんか理不尽だったり納得性が低い種目が多くないですか?

スノーボードクロスとか、スケートのショートトラックって、確かに面白いんだけど転倒したヤツに絡まれたらそこで終わりってのは理不尽過ぎじゃないかと。やってる人達は納得してやってるんでしょうけどね。

モーグルってのも気持ちが悪くて。エアーならエアーだけ、コブを早く滑るならそれだけに集中すればイイじゃんか。なんで組み合わせるのか意味が分かりません。

そしてフィギュアスケートです。既に男子で議論になってますが、そもそもフィギュアスケートって何やねん?

銀メダルのロシアの選手が持ってるフィギュアスケートについての認識は、他の多くのスポーツと同様の「技術やフィジカルを競うものである」ということでしょう。芸術性=ダンス的要素は、彼は重視していないというか極論すれば否定さえしていそうです。

‘芸術性’って‘スポーツ’にそぐうものなんでしょうかね?社交ダンスも、社会的にはスポーツとして認知はされてるにも関らず、世界的に競技人口も多いにも関わらず、オリンピック種目になってないのは‘芸術性’って要素がオリンピックにそぐわないということなんだと理解してます。そういう意味では、体操とかシンクロナイズドスイミングも微妙なんだけど、フィジカルな要素が圧倒的に強いので許されてるのかな。

そもそも‘芸術性’ってのは、普遍的・客観的な基準での比較がうできないものなんだから、順番を付けようっていうスポーツには本来そぐわないものでしょ。オリンピック種目の採用基準自体が公正でも客観的でもなく、主観的・政治的且つ近年は極めて商業的になってきてるので、芸術性のことだけをとやかく云ってもしょうがないんだけど。

フィギュアに関しては、プロはあっても競技性は一切無いショーであるってところが如実に物語ってますね。ロシアの選手も、自分がやってる競技はそういうもんだってことをちゃんと理解しないといけなかったんだろうなぁ。

そう考えていくと、あらゆるスポーツ種目の本質ってなんなんだろうなと。自分たちがやってるスポーツは、何を競うものか理解してるのかと。商業的な成功のみに目が向いて、本質を見失ったルールに改悪されていないかと。自問自答。

0 件のコメント:

コメントを投稿